真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「愛するとは」という本を電子出版しました

愛するとは

書き出し
第一章:愛の定義
第二章:愛する
第一部:ものを愛する
第二部:こと(行為)を愛する
第三部:人を愛する
第三章:愛の反対、愛を邪魔するもの
第四章:相手を知り己を知らば百戦危うからず
第五章:いびつな愛
第六章:欲求階層説
第七章:成長する:受動的(依存的/肉体的)から能動的(自律的/精神的)へ
第一部:受動的から能動的へ
第二部:依存から自立(自律)へ
第三部:肉体的欲求と精神的欲求
第八章:愛される
第九章:愛のレベル(階層)
第一部:愛には高い低いの階層がある
第二部:愛には深い浅いがある
第十章:自己実現欲求
第十一章:愛の別表現
第十二章:生きる意味をそこに見出した


書き出し
1)「愛」とか、「愛する」とか、この言葉を、私は、若い頃から、何にも考えずに使ってきた。何の引っかかりも感じずに、当たり前に使い続けて来た。もちろん、特段、難しい言葉ではない。ちまたに溢れている平凡な言葉である。
2)しかし、人生後半になって、心理学を学ぶようになり、「愛する」って、具体的には、どんな行為なのだろうか、と考えるようになった。また、愛しているのに、その愛する相手を平気で殺せるという神経が私には、とうてい理解できない。愛しているはずの我が子を死に至らしめるまでに虐待する。このような愛もあるのだろうか。果たして、それは愛と呼べるのか。愛と呼んでもよいものなのか。疑問がどんどん湧いて来た。
3)果たして、どんな行為ならば、愛している、と言えるのだろうかと、この言葉への自信をなくした。実際には、自信をなくしたのではなく、自信と思っていたワラの家が、敢なく風で吹き飛んだだけだったんだが。というのは、愛について深く考えたことがなかったからである。
4)ともかく、心理学に限らないのだけれども、学問では、言葉(用語)の定義をはっきりさせないことには、話を先に進ませられない。言葉使いには慎重にならざるを得ない。
5)ということで、今回、「愛」とは、「愛する」とは、具体的にどんな行為なのだろうかといろいろ多方面から考えてみた。そんな探究の旅にお付き合い願えればと思う。