真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

NHKテレビ番組100分de名著、「老い」の三回目を視聴しての感想

参考1)「NHKテレビ番組100分de名著、「老い」の一回目を視聴しての感想」
参考2)「NHKテレビ番組100分de名著、「老い」の二回目を視聴しての感想」
今回は「老い」の三回目、「性」である。私は、間もなく、73歳になろうとしているが、やはり、今でも性欲はある。そして、やはりそれを恥ずかしいと感じている。恥ずかしいと感じている一番の理由は、坐禅でそれを乗り越えることを目指しているからである。といっても、きちんと正式に坐禅をしたことがない、度素人、我流のやり方であるが。
私は、性欲は社会的欲求の源流だと思っている。それを身体的欲求だけで使うと、肉欲に成る。心理的欲求(感情)をそこに上乗せすると、恋愛に成る。その段階で、心を通わせ合う、相思相愛が期待できる。
相思相愛では、自分の幸せと同時に、相手の幸せをも、成就させることが求められる。
自分の幸せだけを求めると、ストーカーや、自分を好きにならない相手を殺すとか、逃げた女房を殺すとかに成りかねない。
親子であれば、社会的欲求が相手を支配する支配欲として虐待、集団であればいじめ、夫婦であればDV、各種ハラスメントとして表れて来る。
身体的な肉欲に、心理的精神的な心の繋がりを求める社会的欲求としての愛へ、その社会的欲求の愛が、求める愛だけでなく、与える愛も含められる、ような、心理的精神的成長が必要となる。与える愛も含められる段階で、大人の愛と言える。性だけを求めると、醜い老人に成り果てる。そこに、愛はあるだろうか。与える愛も存在するだろうか。