真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

江戸幕府が滅んだわけ

[日本史と世界史]
◎私は学生の頃日本史は余り好きではなかった。逆に世界史にはとても興味があった。見知らぬ外国のさまざまな国の興亡や偉人の働きに心躍った。受験でも世界史を選んだ。日本史の方が楽だという者も多かったけれども。
[日本史に興味を覚えない理由]
◎それに引き替え、日本史に興味を覚えなかった理由は、覚えにくい難しい読みづらい言葉(難しい人名と聞き慣れない用語)の連続とこんなの覚えてどうするんだろうという年代のやたらとある暗記が苦手だったからだ。
[現代理解は過去の知識から]
◎でも、今は日本史にもかなり関心が向いてきた。現代を理解するにはやはり過去を知らなければ話にならない。何故こうなってしまったのだろうか、と疑問になれば過去へと逆上らざるを得ない。興味はすべてを凌駕する。
[江戸幕府を企業や国と置き換え]
◎今回、江戸幕府の滅亡を取り上げたかったのは、江戸幕府を、自民党政権や、隠蔽事件で屋台骨が揺れている不二家など、一企業や一国と置き換えて考えても面白いと思ったからだ。
[江戸幕府の滅亡]
◎ということで、江戸幕府の滅亡を取り上げる。1603年に、江戸に開いた武家政権である、その江戸幕府(徳川幕府)は、1867 年(140年前)まで、15 代、265年に渡って続いた。その長期政権の徳川幕府が滅んだわけを追ってみる。
[国内の動揺と対外的危機]
◎早々と飛んで、江戸も末期に近づくと、国内の動揺と対外的危機、つまり内憂外患の中で、下級武士を中心とする倒幕運動が強まった。その結果、最後の征夷大将軍、15代徳川慶喜は1867年大政奉還(征夷大将軍の職を辞して政権を朝廷に返上)を行った。
[幕政改革の失敗]
◎幕府崩壊の遠因(内憂)となった国内の動揺は、簡単に言えば、歳入が増えないのに、支出が増えていった。その結果実施した享保・寛政・天保などの一連の幕政改革もたいした効果をあげえなかった。どこかの国とよく似た状況ではないだろうか。
[外交体制の樹立失敗]
◎崩壊の直接原因(外患)である対外的危機は、ペリーの来航に始まった諸外国からの開国要求である。その危機に直面しながら、鎖国にかわる新たな外交体制の樹立に失敗した。それによって、外国と渡り合う能力を幕府(征夷大将軍)がもっていないことが天下に知れ渡った。
[西欧諸国に対向しえない幕府]
◎つまり、ペリー来航後、近代工業を基礎にした西欧諸国の持つ軍事力に幕府は対向しえないことがばれてしまった。日本でも今、北朝鮮核武装への対抗策が取りざたされている。日本は北朝鮮の武力に無力であるとばれてしまっている。
[軍事力確立が幕府の急務]
◎欧米諸国に対して上位者として受け入れるか、対等な相手として国交を樹立するかの方法に関わらず、とにかく相手に対抗できる軍事力の確立が幕府の急務となった、占領の不安をぬぐうためにも。その点で幕府側も倒幕側も同じ考えであった。
[防衛庁が省に格上げ]
◎日本の今とよく似ている。日本もその第一段階として、自衛隊防衛庁防衛省に格上げされた。これが何の抵抗もなくすんなり受け入れられたのは北朝鮮のお陰である。これは闇に紛れて何とかかもしれない。
[幕府の軍制改革は不徹底]
◎しかしながら、幕府の軍制改革は不徹底なものに終わった。その理由は、全面的改変は幕府の組織の全面的崩壊へとつながりがりかねなかったからである。自分の保守に走るか国全体の保守のために身を退くか。長い年月(265年)をかけて築いた体制の構造改革は解体的出直しでない限り不可能であろう。
[解体的出直し]
雪印乳業の場合、文字通り解体的出直しを計った。不二家の場合、創業家一族による、同族経営が大きく影響しているという報道がある。一族が第一線から退くかどうかが信頼回復の鍵だろう。自分たち一族の不二家という意識を取っ払うことができるかが回生の鍵である。
[長州藩は軍事的再編に成功]
◎江戸時代にタイムスリップして、長州藩が、領内諸階層の軍事的再編に成功したのは、幕府の改革とは対照的であった。この藩の出身者に、木戸孝允伊藤博文井上馨大村益次郎山県有朋がいることを考えれば、この藩の素晴らしさが分かるだろう。
[幕府と長州藩の戦争]
◎幕末期、徳川幕府は倒幕を掲げる長州藩に征討戦争(長州征伐)を行った。第一次出兵では、保守派に実権が移っていた長州藩は、抗戦せずに幕府に降伏した。その後、長州藩では高杉晋作らの討幕派が反乱(クーデター)により実権を握り、再び幕府と対立した。
[幕府の権威は衰えた]
◎幕府は第二次征討を開始するが、挙藩体制の長州軍に各地で敗れて征伐は失敗した。第2次長州征伐の敗北から、幕府の権威は急速に衰えた。それが、開国によって、近代的兵器を装備するという、富国強兵を目指す討幕運動として結実していった。そして、ついに大政奉還が実現した。
[堅い体制が滅亡や衰退の原因]
◎外の変化や内の変化について行けない、抜本的改革を実行し得ない、堅い体制を持つことが滅亡や衰退の原因だといえそうである。構造改革の成功が滅亡や衰退を免れる最大最高の手段であろう。今日本に求められているのがそれであるが、抵抗勢力の返り咲きが強まっている。
[すばらしい人材が豊富に輩出]
◎また、倒幕側で、すばらしい人材が豊富に輩出されたということも見逃せない事実だろう。長州藩熊本藩は改革を断行して成功させた。これらの諸藩では、藩校の設立・整備と人材の登用とによって、行政の論理と才能とを整えた。民主党が倒幕を果たせるか。