真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

私見ですが、日本の思想史をたどる

NHKのテレビ番組、「100分de名著」、「日蓮の手紙」を見て、日本の思想の変遷を辿ってみたいと思ったので、この記事を書くこととなった。
まず思想とは、人々の言動の基礎としての知識体系となるものである。
その前に、これは単なる私の私見であることを申し添えておきたい。
日本においては、古代(原始時代のあと大和、飛鳥、奈良、平安時代:古代は王朝が支配する時代)は、占いや神話が、人々を導く思想(占いと神話の時代)であった。しかし、それは大和時代(大和朝廷による古代国家の基礎が整えられた時期)までであって、その後、仏教が国を治める思想として取り入れられた。それは、仏教に帰依していた推古天皇が、592年に天皇に即位したことをきっかけに、状況は変化し始めた。その頃、聖徳太子が活躍した時代でもある。既に飛鳥時代には仏教は伝来していた。その後の710年から784年までの74年間を奈良時代というが、その後には仏教は日本社会に深く浸透していた。
鎌倉時代になって、新興仏教も勃興して、新仏教も旧仏教もその後ながらく仏教思想が中心であった。しかし、江戸時代には、儒教の隆盛期である。それまでの仏教の僧侶らの教養であった儒教から、独立した学問として発展を遂げた。特に朱子学は幕府によって封建支配のための思想として採用された。これは、それまで仏教は、時の権力と対峙して来たという歴史があるからでもあろう。織田信長の仏教弾圧の無茶振りを見れば納得されるだろう。
明治になると、憲法が思想の中心となる。西欧においては、憲法は、権力者と対峙して、権力者を縛る、自分達庶民を守るべくして制定された契約書である。かくて、憲法が法律が判断の拠り所となった。
しかし、戦後の昭和時代においては、科学が思想化する。つまり、科学が判断基礎、判断規準となる。科学技術は、持て囃されてきたが、原子力が使われる時代になって、その恐ろしさ(1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故、2011年3月11日 福島第一原子力発電所事故)に驚いたことがきっかけで、その科学も、思想としての信頼が揺らぎ始めている。
では、この先の基礎となる思想(生きていく上での知識体系)として、何が登場して来るのだろうか。私は、既に始まっているが、「集合知」だと感じている。なお、集合知とは、多くの人の知識が蓄積したもので、その膨大な知識を分析したり体系化したりして、活用できる形にまとめたもの、をいう。

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