真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

人間は大人になっても遊べる唯一の生き物

[子どもは遊びが必要]
◎子どもは遊ぶのが仕事かも知れない。というか、子どもは遊びを必要としている。遊びの中で、学ぶ。そしてそれがいずれ大きくなってから生きてくる。
[道路は子どもが遊べる場所だった]
◎私(今年60歳)が子どもの頃には、広場があり、道路はまだ子どもが遊べる場所だった。そこで休みの日には一日中走り回った。夏は太陽が沈むまで遊び回った。夏には夏の遊びがあり、冬には冬の遊びがあった。
[体全体を使っての遊び]
◎最近の子供たちは、体遊び、体全体を使っての遊びを余りしなくなったように思うが、これは思いっきり体全体でのびのびと遊べる場所が少ないからだろう。そう思いたい。
[ゲーム機を使っての遊び]
◎たぶん、広々とした遊び場があれば、ゲーム機に熱中しないのではないか。ゲーム機を使っての遊びは社会性をはぐくまないなど弊害が心配される。
[体が子どもに遊びを欲求]
◎また、普通であれば、体の方が、子どもに遊び回れと欲求するはずである。昔はその欲求の赴くままに、子供たちは遊びにふけった。
[仕事や家事で遊ぶ暇がない]
◎大人になってしまえば、仕事や家事で遊ぶ暇がなくなってしまうのに。また、ケータイやパソコンの前で一日中それらと対面し続ける日々になるかも知れないのに。
[大人がパチンコに夢中]
◎もしかすれば、子どもの頃遊ばなかった大人がパチンコに夢中になるのだろうか。大人の遊びはのめり込むと恐ろしいと聞く。
[うまくいっているかどうかのフィードバック]
◎あるコラムで偶然見つけた文を引用する。「プレイヤーの技術が上がれば、それに合わせてゲームのレベルも上昇します。能力と挑戦のバランスがうまく保たれている上に、敵を倒すなどのはっきりした目的があり、しかも自分のやっていることがうまくいっているかどうかのフィードバックは、点数やレベルとして瞬時に数値化され、きわめて明確です」
参考資料→「「充実感」を感じやすい人、できない人」=from"日経ビジネスオンライン"
[充実感を感じられるゲームにのめり込む]
◎このようなゲームは遊びの範囲ならば、問題ないのだろう。が、仕事に充実感を味わえないことの代償として、充実感を感じられるゲームにのめり込むと、本人ではなく周りが問題を抱えることになる。その結果、本人が問題児(大人)となってしまう。
[資本主義は競争原理の上で機能]
◎残念ながら、仕事には、資本主義(生産手段を持つ資本家が、賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システム)を持ち込まざるをえないだろう。資本主義は競争原理の上で機能する。
[勝ち組、負け組]
◎別のいい方をすれば、自由という土俵の上で戦わねばならない。常に他人との競争が待っている。そのことからか、勝ち組、負け組という言葉が心に突き刺さる。
[主体性を自分が持つ]
◎仕事の場合には、ゲーム機のようには、主体性を自分が持つことは難しい。どうしても、充実感を感じられない場面に立ち会うことが多い。
[共有主義を持ち込もう]
◎でも、遊びには共産主義と言いたいが、共有主義を持ち込もう。共産主義(財産の共有を目指す思想)では仕事になってしまうから。
[互いに自由に使い合う]
◎共有主義は、持ち寄りパーティである。お互いが自分の余っている品物(食べ物)を持ち寄って、互いに自由に使い合う、食べ合う。仕事上の競争の自由ではなく、遊びの自由では主体性が確保できる。
参考資料→(私のブログ)「独占所有から共有化へ」
[おおいに遊ぼう]
◎60歳頃、つまり、定年頃からは、男性も女性もおおいに遊ぼう。子どもに返って遊びを楽しもう。遊びは、「楽しむ」ことを最優先する。
[「must」の世界から「can」の世界へ]
◎遊びは、仕事場とは全く違う異空間を作り出す。異空間を作り出すことによって、心を完全に切り替えることができる。「must」の世界から「can」の世界への切り替え。「Yes, you can」である。
[定年後は遊び中心の生活]
◎定年までは、仕事中心の生活であったとしても、定年後は遊び中心の生活に入ってほしいものである。
[社会貢献としての遊び]
◎遊びが見つからない人は、遊びの変形として、あるいは社会への還元として、自分の蓄積した知識や能力や技術を社会貢献として、仕事としてではなく、遊びとして提供しよう。
[楽しみとして活動]
◎もちろんそこからお金をもらうことは構わないが、あくまで楽しみとして活動しよう。何故遊びにこだわるのかと言えば、遊びであれば、対等の関係で、楽しみ(充実感)を優先させながら関われる。
[充実感を味わえる遊び]
◎といっても、私は何も社会へ提供できるほどのものを持ち合わせていないのが悲しいが。死ぬまで、社会と関わりながら、自分を高め、他人を高め、居場所を持ち、充実感を味わえる遊びを求め続けたい。
[時間が中身で一杯詰まった充実]
◎充実感とは、皮をむいたら、ぷりぷりの実がずしりとあり、それを一つ口にほおばると、口中に甘い汁が満ちて、美味しさに心が微笑む。そのような中身が充実したみかんを食べたように、自分の時間が中身で一杯詰まった充実したものであれば充実感を味わえる。
[充実感が最大のご馳走]
◎人間にとって、ある程度の身体的(肉体的)欲求の満足を経験した者にとっては、そのような充実感が最大のご馳走ではないか。