真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

究極の自律は、究極の依存である

[二つの宗教]
◎以前、私はこのブログで「二つの宗教、依存対象の宗教と自立手段の宗教」という記事を書いた。それで今日は、その続編的なものを書きたい。
[人生は循環]
◎私は、人生において、誕生時の完全依存から始まり、自律を目指し、中年頃にその自律を果たし、その後、また依存へと返るという循環をすると思っている。
[宗教は依存への導き手]
◎そして、宗教がその依存への導き手であってほしいと願っている。そろそろ葬式仏教から脱皮すべきではないか。
[絶対的な依存のゴール]
◎とはいっても、私は既存の宗教は、個別宗教(宗教一般より下位にある個々の宗教)であり、絶対的な依存のゴールだとは思わない。だから、教祖への帰依には大反対である。
[悟りという形で訪れる]
◎「絶対的な依存」(絶対帰依)は、自分を「無」にすることによってのみ訪れる。そして、「無」に突入したかどうかは、「悟り」という形で訪れる。という意味で、私は、ただただ「悟り」のみを目指す禅宗に引かれる。
[自我を殺す]
◎「自分を無にする」ということは、自分の「自我を殺す」ことである。「自我殺」をすることである。その手段が坐禅である。
[拠り所を肉体に置く]
◎しかし、ほとんどの人は、心(精神)の拠り所を、自分の肉体に置いている。肉体とそれを支える物質とに心(精神)の拠り所を据える。
[王座から一市民へと下る]
◎といっても、自我の死は心の死を意味するのではない。また、自我の死は、自我が死ぬことですらない。自分の中心(王座)から自我が一市民へと下ることである。
[宇宙の法則に従って動く]
◎それを孔子は、「七十にして心の欲する所に従って、矩(ノリ)を踰(コ)えず」と語った。森羅万象は宇宙の法則に従って動いているが、孔子の心もそれに従って動いているということを表している。
注)矩(ノリ)=宇宙の法則
[自分を森羅万象と同等視]
◎「自我の死」=「無・無我」=自分を森羅万象と全く区別せず、差別せずただただ宇宙の法則に従っての活動。
[究極の依存、絶対的な依存]
◎自分を完全な無我に立ち至らせて、自分が神(宇宙の法則)の乗り物と化す。それが、究極の依存であり、絶対的な依存である。
[パウロ道元]
◎私は、このブログで「私の脳みそは私の物か」(2008/07/17)という記事を書いたが、そこで次のようなことを述べた。

宗教の世界で、パウロがこう言った。「もはや我、生きるにあらず、キリスト、我が内にありて生きる」と、パウロとキリストとの関係をかくいう。パウロは肉体を持っているが、その肉体を動かす支配する主体は、パウロ自身ではなく、キリストだという
仏教者道元は、それをこのように言う。「ただわが身をも、心をも、はなち忘れて、ほとけの家に投げ入れて、仏のかたより行われて、これにしたがいもていく時、力も入れず、心をも費やさずして、生死をはなれて、仏となる」と。
[キリスト=仏=完全無我=宇宙の法則]
◎キリスト=仏=完全無我=宇宙の法則。私たちは、個々人が自分の法則(自我)に従って動いている。その結果、世界には争いの種が尽きない。いつまでたっても、調和・秩序に従った動きとはならない。
[完全無我の位置に]
◎自我を取り去って、その位置に、キリスト教では「キリスト」を、仏教では、「仏」を、儒教では、「矩」を、老荘では、「道」を入れる。それを入れるためには、自我を取り去って完全無我にする必要がある。
[自我を殺すとは社会(規範)からの脱皮]
◎死ぬまでにそうなるためには、中年以降は、自分の自我を殺して殺して殺しまくらねばならない。自我は社会的適応を最高の目標とするので、自我を殺すとは、社会(規範)からの脱皮である。下や横への脱皮ではなく、もちろん上への脱皮であるが。
[自律の過程]
◎その時期は、究極の自律の過程である。社会への依存からの脱皮であるから。社会よりももっともっと大きなものの中へ飛び込むために。
[小さな輪から大きな輪の中に]
◎人生は、小さな輪から飛び出してより大きな輪の中に飛び込むことの連続である。胎児は、母親という輪から飛び出して、家族という輪の中に飛び込む。そこからさらに学校へ、次には社会へ。そしてその社会からも飛び出す。
[解決や責任の放棄]
◎依存するとは、解決や責任などを放棄(部分的であったとしても)して、それを他人に担ってもらうおうとすることである。
[相互依存]
◎もちろん、肉体部分、物質部分は依存せずには生きられないから、相互依存とならざるを得ないが。
[社会からの完全自律=宇宙法則への完全依存]
◎であっても、究極の依存(宇宙法則=矩への依存)に至る途上は、究極の精神的自律の過程である。それが果たされる到達地点が、社会からの完全自律=宇宙法則への完全依存となる地点である。