真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「わかる」って何をすることだろうか。

「教育とは」
◎私は以前(2010/05/10)このブログに「教育とは、学び手が「知っ」て「止め」て「考え」て「広がる」ことである」という記事を書いた。
「知ることと広がること」
◎教育を、さらにもっと簡単にいえば、「知る」ことと「広がる」ことである。この「広がる」ことについてさらに考えを述べたい。
「わかる=広がる」
◎「広がる」前の「知る」ことは、「わかる」(=「広がる」)ことへと進むべきである。なので、今日(2010/6/11)は、「広がる」と「分かる」という関係についても述べたい。
「分かるは分かれる」
◎「わかる」=「広がる」ということだが、その前に「分かる」について考えると、この「分かる」は「分かれる」と語源的には同じである。
「差異を生じる」
◎そこで、「分かれる」とは、辞書によれば、「 一つのものが二つ以上になる。べつべつになる。 一つのものがいくつかに区分される。区別がつく。差異を生じる」ことである。
「分類」
◎さらに、区分・区別とは、「分類」することである。ところが、分類の「分」は、「分ける」ことであるが、「類」の方は、逆に「類似」のことである。
「分類は分けて結ぶ」
◎となれば、「分類」とは、単に「区分・区別」するだけでなく、それとは正反対の「類似」させるという行為にまで踏み込む。そうでないと分類とはならない。分類は、「矛盾的自己同一」である。
「矛盾的自己同一」
◎私は以前(2007/02/07)このブログに「脳は右脳と左脳との矛盾的自己同一」という記事も書いた。そこから引用。

右脳と左脳の機能的特徴を一言にまとめる。右脳は、たくさんのものをその特性を残したまま抱え込む。それに対して、左脳は単一・単純なものへと分離してしてゆく。
「右脳と左脳」
◎物事の間に、差異を見出して切り分けてゆくのが左脳である。他方、物事の間に、類似性を見出してまとめ上げていくのが右脳である。
「細分化と統合化」
◎一般的に、左脳は、どんどん細分化する方向へと進む。右脳の方は、それとは逆に、どんどん統合する方向へと進む。
「要素がより集まって構成」
◎物事は単一の要素で成り立っていることはなく、いくつもの要素が寄り集まって構成されている。だから、同一の事柄から、「差異を見出していく」ことも「類似性を見出していく」ことも可能である。
「部分的にしか正解」
◎そして、いくつもの要素が寄り集まって構成されているのだから、差異を見出しても、類似を見出しても、間違いではない。であっても、部分的にしか正解では有り得ない。
「二種類のわかる」
◎ということで、「わかる」という行為には、「左脳による差異を見出すわかる」と、「右脳による類似を見出すわかる」という二種類がある。
「正⇒反⇒合へと進む」
◎そして、この二種類の「わかる」行為を行うのが、分類である。弁証法では、正⇒反⇒合へと進むが、「わかる」行為=分類は、反(左脳による差異を見出すわかる)から、合(右脳による類似を見出すわかる)へと進むことで完結する。
「優劣はどうなのか」
◎ところで、左脳のわかると右脳のわかるとは優劣はどうなのだろうか。それについて、私は以前(2007/07/28)このブログに「偏見と正見」という記事も書いた。そこから引用。
あらゆるものや出来事はつながっている全体である。それで、唯一の正見は釈迦がしたように、宇宙の時間的空間的全体を見渡した上で個々の物事を判断することである。
「無分別智」
◎この表現からお分かりのように、仏教では、左脳による差異を見出すわかるではなく、右脳による類似を見出すわかる(無分別智)を強く推奨する。
「分別智を戒める」
◎分別による分かるを強く戒める。口汚くののしりさえする。しかし、一般に誤解があるように思える。左脳のわかるをダメだととらえる人もあるが、そうではない。
「右脳のわかるまで進め」
◎実際のところは、左脳のわかるよりも、右脳のわかるを階層的に上だとしている。左脳のわかるで止まらないで、右脳のわかるまで進め(昇れ)という。
「洞察・ひらめき・インスピレーション」
◎私は以前(2010/04/26)このブログで「洞察・ひらめき・インスピレーションはユーリカ体験」という記事を書いた。そこから引用。
洞察・ひらめき・インスピレーションなどは、バラバラのままである様々な情報が、突如ひとつの絵柄としてまとまった瞬間である。ジグソーパズルが完成した瞬間である
「右脳のわかる体験」
◎「洞察・ひらめき・インスピレーション=ユーリカ体験」は、「右脳のわかる」体験である。左脳のわかる体験よりも、右脳のわかる体験の方が「わかった感」(達成感)が断然強い。
「体系化」
◎個々の知識を、右脳によってつながりを見出し、体系化することについて、「知識の能動的体系化」「哲学とは経験の体系化」という記事を以前に書いた。
公案は自爆装置」
◎仏教、特に禅宗での禅問答の公案は、左脳のわかる方式を打破させるために与えられる自爆装置である。そして、あらゆる知識が何らかの類似性によってまとまった体系化を勧める。
「それ以前はすべて偏見」
◎すべての知識や情報が完全にまとまって、初めて真の意味の正見が可能となる。それ以前はすべて偏見でしか有り得ない。それを成し遂げたのが釈迦だという。それが釈迦の悟りの内容である。