真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

熟年夫婦の手つなぎについて思ったこと

◎ブログに新しい記事をアップして3〜4日ほどで、アクセス数がかなり減少する。そうなると、そろそろ次の記事をアップせねばと考える。
◎それに対しては、何を目的に記事を書いているんだと、自分にツッコミを入れたくなるが。それはさて置き、今日の話題へと入ろう。
◎今日の話ではない(2011/01/25)が、新聞を読んでいて、目を引いた記事がある。それが「手つなぎ夫婦 目立つ中年」=from"大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)"である。
◎なぜ目を引いたかといえば、私もこれは感じていたからだ。もう数年前から、いい年をした夫婦がどうして手などつなぐのだ、腕を組むんだと、少々不快な気持ちまじりの感想を持っていた。
◎私自身はどちらかと言えば、若い頃から、手をつないだり、腕を組んだりするのが好きではなかった。求められると、しょうがないかと、少しの間だけ応じた。
◎であっても、何かの機会を利用して、というよりも、自ら作り出して、それとなくそれを外す。「あれ見て見て」と、結んでいた手をほどいて指を指す。
◎これは照れがかなり混じっているのだと思える。私は未だに少し自意識過剰気味である。中学校時代から急に自意識が過剰になりだした。
◎それが未だに治らない。若い頃には、他人からも奇異に映るほどの自意識過剰であった。道行く人がけげんな顔をするほどに。
◎ちなみに、「自意識」と関係する脳領域は、「前頭葉から頭頂葉にかけて」である。そこは、安静閉眼状態では活発に活動するが、目的を持って課題に取り組むと活動が低下する。
◎「前頭葉から頭頂葉にかけて」は、内向すると活発に働く領域である。外向すると、働きが低下する。そういえば、中学校時代から急に強く内向し始めた。とはいえ、それまでもかなり内向的ではあったが。
◎一般論的に言えば、夫婦は、結婚間もないころには、お互いが向きあう。ときには、他人が全く目に入らないほどに。そんな時に「アツアツ」という言葉が投げかけられる。
◎が、子供が出来ると、互いに背を向け合って、夫婦外の物事(子供、仕事、家事、付き合いなどなど)に対処せねばならない。
河合隼雄氏が、ある著書の中で、夫婦は背中合わせになって、外の敵(子供、仕事、家事)と戦わねばならないと言っていたのを思い出す。
◎それらに一応のケリがつくのが、50代(特に後半)であろう。子どもが成人し、仕事でも、荷が降ろせる位置につく。そうすると、夫婦はまた、顔を向き合わせる時間が生まれる。
◎私は、このブログで次のような記事を書いてきた。1)「空の巣症候群、空白の恐怖が去った後に」、2)「空白・欠如・無の恐怖」、3)「燃え尽き症候群、空の巣症候群、うつ病を重う」、4)「花嫁の父症候群」、5)「空白の恐怖」
◎それらの記事の中で触れたのだが、私も一時期かなりきつい空の巣症候群(花嫁の父症候群)に陥った。娘が私から去っていく寂しさから来る孤独感であった。
◎この数年間、毎年襲われていたが、今はまた少し仕事をしているので、それに見舞われることはなくなった。少々うつも、更年期障害も混じっていたのだろう。
◎ちなみに、空の巣症候群(花嫁の父症候群)などは、今まであったものがなくなることによって、心に空白が生まれる。それが症状が発症する原因である。
◎さらなるちなみに、怒りや悲しみは、心を傷つけられる体験があって初めて生じる感情である。怒りや悲しみを感じる時、情動の中枢である扁桃体とともに、内側前頭前野が活発に活動する。
◎「内側前頭前野」は、主に、内向するときに働く脳領域である。外に向かうべきものがなくなると、心は自然と内を向く。
◎その時には、あらためて、心を通わせるべき相手として、妻や夫が前に立ち現れる。結婚してからの、二人の関係を再確認する時期である。
◎その時には、心が完全に冷めていると、熟年離婚へと突き進む、特に妻の側が。一時期、熟年離婚が大きく話題にのぼった。しかし、離婚後の経済的自立が壁となっているようだ。
◎その時に、心を通わせあおうという気持ちがお互いに芽生えると、心の結婚が生まれ、新しい新鮮な気持ちで、夫婦が向き合える。身体的結婚から心の結婚への昇化である。
◎それが、夫婦が手をつなぐという形で現れているのではないだろううか、ともに同じ場所で戦った戦友として。こんな時、男同士ならば、肩を組むところであろう。