真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

空の巣症候群、空白の恐怖が去った後に

[花嫁の父症候群が再発]
◎1ヶ月ほど前(2009/10/31)このブログに「空白・欠如・無の恐怖」を書いた。

またまた最近私にこの「花嫁の父症候群」が再発し始めた。「空っぽになってしまったことへの寂しさ」がぶり返してきた。
[初発は2年半前]
◎「花嫁の父症候群」が再発とあるが、初発は「2007/05/20」、2年半前であった。その時にはこう書いた。
まだ、子供たちの内、誰も結婚していないのであるが、最近、私は、"花嫁の父"の心境を、深く強く味わっている。子供たち全員にとって、家はただ食べて寝る場所になってしまっている。子供たちの心は、我が家からも私からも遠く離れてしまった。
[寂しさは期待したものが得られないから]
◎寂しさは、期待したものが得られない場合に生じる。最初から期待していない場合には、寂しさも生じない。つまり、あったものがなくなった寂しさである。
[後追い]
◎我が家には犬と猫がいる。猫は一人でも悠然としている(と見える)。しかし、13歳になる雌犬は、私のそばに付きっきりである。トイレに立ったり、お茶を入れに行ってもすぐに後を追いかける、後追いする。
注)もしかすれば、「ストーカー」=from"Wikipedia"の心理はこれかも知れない。
「恋愛感情などの好意感情、またはそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情」がおよそ9割を占めている
[私が寂しいから寄り添う]
◎娘は、この犬は人の心を読むのがうまいからなと言った。つまり、犬の方が寂しいからではなく、私の方が寂しいだろうから寄り添っているのだということだろうか。
[取り上げられた悲しさ]
◎得られないための寂しさ以外にも、赤ん坊が手に持っていたおもちゃを取り上げられた悲しさである。私の場合には、毎日顔を合わせていた娘に会えない(今オーストラリアに行っていて、帰国後結婚するそうだ)寂しさである。
[夢にも思わなかった]
◎自分が、まさか「空の巣症候群」「花嫁の父症候群」に陥るとは夢にも思わなかった。心の空白に嘆く身になるとは思ってもいなかった。
参考資料⇒「既に空の巣症候群です(愚痴):生活・身近な話題:発言小町:大手小町」=from"YOMIURI ONLINE(読売新聞)"
[今や体験者]
◎子供たちが空の巣症候群に陥り、妻たちも空の巣症候群に陥るのも、以前は人ごとだと思い、客観的に眺めたり、言ったりできていたけれども、今や体験者として本当に心から分かる気がする。
[空の巣症候群]
「空の巣症候群」(fromWikipedia)を抜粋引用する。
40代から50代の女性によく見られる抑うつ症状。子育てが終わり、子どもが家を巣立っていったあたりから出てくる事が多い
[あったものがなくなるつらさ]
◎「空の巣症候群」は女性だけがかかると思っていたが、私がかかるとは夢にも思っていなかった。それで、それとは区別するために、「花嫁の父症候群」と、私は名付けた。でも、同じ心境だと思える。私のブログ記事「花嫁の父症候群」(2007/05/20)から抜粋引用。
恋人がいる間や、できる前では一人をそんなにつらいとは全く感じなかったというのに。元々ないものは何とも感じないが、あったものがなくなるつらさは大きなものである。しかし、無情は世の常である。宴の後、祭りの後の虚脱感。とはいえ、一時の幸福を味わわせてくれた子供たちに感謝。
[韓流も同じ心境]
◎中年婦人が韓流にはまるのもある点で同じ心境(空の巣症候群からの逃避)かも知れない。心の空白を埋める何かがなければ、そこに寂しさの感情がどっと押し寄せてくる、私が今味わっているように。
[満腹の後に空腹]
◎次に、「空白・欠如・無の恐怖」(2009/10/31)からの抜粋引用。
満たされていた状態(満腹)が先にあって、その後に欠如(空腹)が生まれる。そこで、それを求める存在になった。私たちは求める存在である。
[燃え尽き症候群]
◎「空の巣症候群」とは逆の心境かも知れない、「燃え尽き症候群」。「燃え尽き症候群、空の巣症候群、うつ病を重う」で、「燃え尽き症候群」についての抜粋引用。定義からして、やはり「空の巣症候群」とはかなり違う。
ブログ更新への意欲がそがれてしまったのは、衆議院選挙で、民主党が政権を獲得し、少々の安堵感や、達成感やなどから、虚脱感に見舞われたのだろうかとも、感じている。
[怒濤のような激しい感情]
◎「空の巣症候群」には、「燃え尽き症候群」のような「安堵感や、達成感やなどから、虚脱感」と言うような生やさしい感情ではない。本当に津波のような、怒濤のような激しい感情である。本当なら泣き叫びたいほどの激情である。
[私の関心を引く空白]
◎私は、1)「空白の恐怖」(2006/10/10)2)「空白の恐怖から無の恐怖へ」(2006/12/07)3)「空白・欠如・無の恐怖」(2009/10/31)と、「空白の恐怖」について三回も取り上げている。かなり私の関心を引いているらしい。
[無意識的に悟っていた]
◎これらは、過去の私が、現在の私の心境を見越して、送って寄こしたメッセージであろうか。たぶん、将来の気持ちをその時すでに無意識的に悟っていたのだろう。
[引いた後に何も残らない]
◎「空白の恐怖」「空の巣症候群」「花嫁の父症候群」という、津波にように押し寄せる寂しさが、うまく終われば、引いた後には何も残っていない。
[心からの感謝で返せる]
◎その結果、今まで何とも思わなかった、感じなかったことがとてもうれしくなる。例えば、子どもからメールが来たり、電話がかかってくると、その内容が何でもないことであっても、とてもワクワクした気持ちになる。それについて「空白・欠如・無の恐怖」からの抜粋引用。
求めることをやめると、期待することをやめると、他人からのどんなにささやかであっても好意に対して心からの「感謝」で返せる。すべてを「お陰様です」といえる。
[当たり前の閾値の低下]
◎これは「当然・当たり前」の閾値(生体に興奮を引き起こさせるのに必要な最小の刺激の強さの値)が下がったからだと思う。生きているから、生かされているへの心境の転換であろう。
[飛び上がるほどにうれしい]
◎だから、一言声をかけられても、飛び上がるほどにうれしくなる。少しの行為(道を尋ねたときに丁寧に教えてくれるとか)でも、心から感謝できるようになる。