真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

虐待と愛情と基本的信頼感

[虐待と信頼]
◎最近、頻繁に目にする、耳にするのは、親に虐待されて亡くなる子ども達のことである。そのような事件が増えているように思える。それで、今日は親からの"虐待"と、子どもからの"信頼"とを話題として取り上げたい。
[叱りつけの効果]
◎"子どもは厳しくしつけないと、怠けたり、言うことを聞かなくなったりする"、という大人がいる。それには全面的には否定はしないが、叱りつけて効果が上がるのは、その底で叱る相手への信頼が子どもの中に根付いているからだ。
[相互の信頼]
◎叱る側、られる側、相互の信頼に基づかずに、ただ一方的に叱りつけてもほとんどの場合、逆効果でしかない。その逆効果を、"あいつは根性が曲がっている"と独り合点する。逆効果は、その叱りつける人へ、不信や反発心(反抗心)をつのらせることから来る場合が多い。
[信頼とは]
◎では、信頼とは何だろうか??。それは、相手が自分を利用しているのではない、僕・私のためを思ってくれているんだ、だから叱っているのだ、という自信である。自分のためを思っての小言、叱責だと思えばこそ受け入れられるのだ。
参考サイト→(私のブログ記事)「信用を信頼しますか」(written on 2006/10/20)
[怒りをぶつけている]
◎自分のためとは思えずに、単に相手は腹が立つから、その怒りをぶつけているからだと判断するからこそ、不信や反発心(反抗心)が芽生えてくるのだ。僕・私のためという自信・信頼のあるなしでまったく反応が逆転するのだ。
[信頼はなかなか取り戻せない]
◎例えば、アメリカはBSE問題で、中国は野菜の過剰農薬の使用などで、信用を失ってしまった。いったん、失ってしまった信用・信頼はなかなか取り戻せない。信用できない相手が何かをしてもそれを不審(不信)の目で見てしまいがちだ。
[誠心誠意の信頼を取り戻す行動]
◎こういう場合すべきことは、繰り返し繰り返し信頼を取り戻す行動を続けてゆくことだけである。それ以外に手はない。誠心誠意の行動を見せてゆくことだけである。
[信頼を無くしたらどうなる]
◎ここで、教育に限っていえば、指導する立場の親や教師が子ども達から信頼を無くしたらどうなるか?。親や教師が、それ以降に行ったり、言ったりする内容が一切信用されなくなる。
[あなたが信用できない]
◎それは、時には、子ども達から暴言などで表明される。お母さんが、自分の子どもから、"このクソばばあ"と悲しい言葉が浴びせかけられるなら、それは、"僕・私はあなたが信用できない"との手厳しいきつい告白である。
[信頼を勝ち得る]
◎信頼ということに関して、人に接していると、相手からすぐに信頼を勝ち得られる場合と、なかなか信頼してもらえない場合がある。その差はどこから来るのだろうか。心理学、特に発達心理学では、"基本的信頼感"ということをいう。
[基本的信頼感]
◎人生の最初期の赤ん坊の時期に勝ち取る信頼感を、基本的信頼感という。それが、将来の人間関係の土台・基礎となる。人は、基本的に人を信頼できるからこそ、家族や友達や職場の同僚などとうまくやっていける。信頼のない間柄では、何事もぎくしゃくする、スムーズに開かない引き戸のように。
[愛情が不可欠]
◎この基本的信頼感を育てるためには、母親(あるいは赤ん坊の世話をする保護者)の愛情が不可欠だ。愛情の中で最大のものは、あるいは愛情そのものとは、"ゆるす"ことである。
[愛情はおくるみ]
◎例えば、赤ん坊が、おしっこやうんこを漏らしても叱られない。オギャア、オギャアと泣き立てても怒られない。何もできなくても非難されない。このような形で、赤ん坊は母親から愛情で大きくくるまれる。
[寛容]
◎愛情とは、ゆるすとは、"赤ん坊は泣くのが仕事だから、泣きたいだけなきなさい"、という寛容を示すことである。"そんなんしたらあかんよ"というのは、不寛容である。
[愛が基本的信頼感をはぐくむ]
◎愛とは、相手を、寛容で温かく大きく包み込むことである。この愛情に包み込まれて育てられた赤ん坊は、人に対して基本的信頼感を心にはぐくむ。
[前向きな希望]
◎このような愛情によって、人生への前向きな希望と、人への基本的信頼感とが育つ。この信頼感が心に育った子どもは、少々厳しく叱りつけても、不信や反発心(反抗心)を湧き上がらせずに、相手の言葉を受け入れられる。自分にプラスになるものとして受け入れる。
[冷静に受け止める]
◎次ぎに、子どもへの"虐待"について考える。寛容を示せない親は、赤ん坊や子どもの言葉や行為に対して、受け入れられない時には、イライラをつのらせて、ついには暴力や虐待へと走る。なお、受け入れるとは、冷静に受け止めることである。
[母性は寛大に受け入れる]
◎つまり、親になった者が、持たねばならない最大のものは、"寛容"(許し)である。別の言葉で言えば、我慢、忍耐する気持ちである。母性とは、寛大に受け入れることである。これを赤ん坊や子どもに示すことによって、彼らの中に基本的信頼感が育つ。
[他人と良好な関係]
◎基本的信頼感が心の中に育った子どもや大人は、他人と良好な関係を容易に築くことができる。それを持てずに、他人に抱く強い過剰な不信感は、その人自身を孤独の中に閉じこめてしまいがちである。
[虐待は基本的信頼感を育てない]
◎虐待を受けた子どもは、基本的信頼感が育たない。そのままに大人になって、親になれば、自分の子どもに対しても信頼感を持てないし、子どもの心にそれを育てることもできないままに終わりがちである。これは悪循環の輪の形成である。