真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

恥ずかしいとはどういうことなのか

[岩脇一喜のSE事件簿]
◎今日は、NIkkei、ITpro内に掲載されている、”岩脇一喜のSE事件簿”を読んで考えてみた。 そのコラムにはこういう文章が書かれていた。


電車の一般車両で,平気な顔をして食べ物をほおばる中高生。街頭では,大勢の若者がハンバーガーをかじりながら座り込んでいる。「そんなカタイこと言わな くても…」と思う読者もいるだろうが,筆者は違うと思う。人間は本来,動物と違って,食欲・性欲・睡眠欲の三大欲望を満たしている瞬間を,アカの他人には 見られたくないと思うものだ。それを,なぜ恥ずかしいと思わないのか,筆者には理解できない。
[恥ずかしい]
◎ということで、”恥ずかしい”を、”平凡社世界大百科事典”の、”恥”の項目で調べた。

恥とは,なんらかの比較の基準にもとづく劣位の感情であり,またその劣位の観念でもある。比較されるものは人の属性(地位,容姿など),もしくはふるまい(機敏さ,勇気など)である。比較基準が特定の社会集団において一様に支持されている場合,恥の感情あるいは観念はその集団の秩序を維持する機能をもつ。たとえば,特定の状況において従うものとされている作法にかなって行動できない場合,その人の行動はこの作法の見地から劣っているとみなされ,周囲の人びとからの軽視や河笑(ちようしよう)を受ける。このような制裁を受けないようにするために,人は作法にかなって行動しようとするだろう。こうして集団の秩序は維持される。
[動物と違って]
◎コラム記事内に、”動物と違って”とあるが、 たいていの動物は、食欲と睡眠欲を満たしているときには、見られたくない。その理由は、もちろん、恥ずかしいからではない。食べ物を取られたくないからであり、無防備な睡眠中に襲われたくないからである。
[恥は社会的に教えられる感情]
◎動物には、恥の感情はない。動物は、性交行為を見られても恥じない。恥は、人間になって初めて出現した感情である。聖書では、アダムとイブが恥の感情を獲得したことが述べられている。とは言っても、幼い子供たちは恥の感情をまだ獲得していないが。恥は社会的に教えられる感情でもある。
「恥の感情を身につけ損なったのか」
◎では、「平気な顔をして食べ物をほおばる中高生」は、「恥」という感情を教えられていないのだろうか。いまだ、知らないのだろうか。あるいは、「恥」という感情を身につけ損なったのだろうか。私にはそうは思えない。
[恥は集団への帰属・従順]
◎「集団の秩序を維持する機能をもつ」恥感情は、例えば、電車などの人前で食べたり、化粧をしたりすることを恥じるのは、集団への帰属・従順を意味している。
「社会への反抗行為」
◎恥感情は、岩脇一喜氏が言うようには、「自然発生的に生まれ出た感情」ではない。それ故に、若者たちが、平気で食べたり、座り込んだりする(事を恥じない)のは、ある意味、消極的な、秩序破壊行為である。社会への反抗行為である。
[組織に取り込まれたか否か]
◎断じて、恥ずかしくないからではない。もちろん、恥の感情を植え付けられていない者も若干いるだろうが。若者たちは、大人の社会、体制、組織に取り込まれたか、否かをとても気にする。学校で、教師にへつらう行為をすれば、仲間から非難ゴウゴウの嵐に遭う可能性が高い。
[秩序への反抗]
◎だから、あんな行為を恥ずかしく感じないのかと、問うても意味はさほどない。彼らは大人が作り上げた秩序への反抗として、反抗の一つの表現として行っているのだから。大人にとって眉をひそめたくなるような、態度や服装や口の利き方の多くは、大人への反抗心が潜んでいると感じられる。
[恥は劣位の感情]
◎しかも、”恥とは、なんらかの比較の基準にもとづく劣位の感情”なのだから、あんな行為を恥ずかしく感じるとは、おとなの規範が正しくて、自分たちのやっていることは良くない行為(劣位)だと認めたことになってしまう。つまり、恥を感じるとは、大人よりも我々は劣っていると白状したことになる。
[恥は負けを認めたことになる]
◎だから、彼らは、大人が非難すればするほど、自分の行為を改められなくなる。ムキになってでも、続けてしまう。やめること、改めることは、負けを認めたことになるのだから。
[大人の秩序と戦っている姿]
◎電車内で、平気な顔をして食べ物をほおばるのは、大人の秩序と戦っている姿なのである。いつの時代でも、若者たちは反抗を通じて大人になってゆく。それ故、平気な顔をして食べ物をほおばるのは、子供から大人へと移りゆく途上のさなぎ時代だともいえる。
[反抗は自立への足がかり]
◎どの子供もいずれは大人(世界)に入っていかざるをえない。子供が反抗期を経ずに、すんなり大人になるよりも、やはり、反抗期というさなぎ時代を通過すべきだと私は思う。反抗は、自立への、大人に頼った依存から抜け出すための足がかりとなる。
「反抗の心理的な意味合い」
◎日本の大人たちは、未だに、子どもたちの反抗の心理的な意味合いを十分に理解していないように思える。反抗を潰すことは、何時までも子どもっぽい依存心を持っていろと命令するようなものである。反抗を如何に処理するかの方法論を持っていないように見える。