真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

「服装、態度で不合格」の発想はどこから来るのか

[服装、態度で不合格は ヘン?当然?]
「やっぱり「服装、態度で不合格」は ヘン? それとも当然? | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉」という挑戦的な題名にまず目を引かれた。
[書き手の考え方]
◎正直、その題名に違和感を感じたので何がそうなのかを考えてみた。先ずは、書き手の考え方を引用。

「不まじめ=『つめが長い』『スカートが短い』『態度が悪い』『髪を染めている』『まゆ毛をそっている』『化粧をしている』『ピアスの穴がある』」は、相手が中学生だったとしてもオトナの主観だろう。
概ね点数という客観的な評価が高校入試の基準とされている。ところが、「まじめ」というオトナの主観が選考基準になり、「願書受付日や入試会場、前期選抜の合格発表の場で」「細かく記録」されては、入試そのもが意味を失ってしまう。
どうしても、そこが気になる。オトナの主観で「不まじめ」とされた子どもは、志望の高校に進学もできない──結果的にそうなるとしたら、やはり疑問は残る。
[15通のコメント]
◎このコラム記事に対して、15通のコメントが寄せられていた。どれもまじめな内容であった。それらはおおよそこの記事への批判的な反論が多いように思える。
参考資料→「やっぱり「服装、態度で不合格」は ヘン? それとも当然? | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉」
[書き手を紹介]
◎この著者は、私には、下(個人擁護的観点)から子供たち、生徒たちを擁護していると思える。ということで、書き手を紹介する文を引用。
世田谷区・目黒区で、NPO法人や勉強会などの現場で、子どもに関わる活動をつづけるそれぞれのX(エックス)と、「帰ってきた顰蹙の魔王」のペンネームでコラムを連載中の早川玄の協同執筆。
[一方的に生徒たちを擁護]
◎もしかすれば、批判的な反論が多いのは、書き手が、一方的に生徒たちを擁護すると思える論調で話を展開していることへの苛立ち、不満から来ているのかも知れないと思えた。私自身がそう感じただけかも知れないが。
[上から見るか下から見るか]
◎この当たりで、私がいつも迷う。それは、上から見るか、下から見るかの観点の違いである。上とは、組織擁護・組織維持優先的観点である。下とは、個人擁護的観点である。迷うのは、どちらも一理あるからである。
[組織維持優先的観点]
◎私には、組織維持や教職員の心身の健康などに心を配らねばならない校長(管理職)の立場(組織擁護・組織維持優先的観点)もよく分かる。組織や職員がつぶれたら、教育そのものが成り立たない。水をたたえる器は絶対に必要である。
[個人擁護的観点]
◎同様に、「勉強会などの現場で、子どもに関わる活動」する方々(個人擁護的観点)の思いも分かる。私も若い頃は、どちらかといえば、個人擁護的観点が強すぎる方だった。その結果、一匹狼的になりがちだった。
[仕事に二種類]
◎教育現場(すべての職場がそうかも知れないなとも思える)では、仕事に二種類ある。一つは、後ろ向き(マイナスをゼロに戻す/事後処理)の仕事であり、もう一つは前向き(ゼロをプラスに高める/予防対策)の仕事である。
[後ろ向きの仕事が多すぎ]
教育困難校では、後ろ向きの仕事が多すぎる。その結果、前向きの仕事に取り組む時間がとても少ない。しかも、後ろ向きの仕事は時間外での処理や対応を要求することがものすごく増える。結果、組織や教職員はぼろぼろになる。
[心身がつぶれた教師]
◎そうなれば、悪循環の輪が自然に巡り出して、ますます後ろ向きの仕事が増えて、教育の困難度が増す。それでは教師への負担が大きすぎる。心身がつぶれた教師の出入りがとても多くなる。
[組織建て直し策として容認]
◎だから、そのような現実を考えれば、「服装、態度で不合格」は、最善の策では決してないが、学校(組織)建て直し策として容認できるのではないかと個人的には感じる。
[外から理想論で批判]
◎ということで、教育の現場と現実を見ないで、外から理想論だけを振りかざして、批判するのは建設的な解決方法とは思えない。もちろん、この書き手は外からの理想論を振りかざしてはいないことは十分承知している。
[広くて高い視点から見る]
◎私自身は、その部分(「服装、態度で不合格」)だけを論じても解決への道筋は見えてこないだろうと感じる。もっと広くて高い視点からこの問題を見る必要がある。
[大きな問題は教育制度や入試制度]
◎そのもっともっと大きな問題として、今の教育制度や入試制度があるとおもう。それに対して私はとても不満である。
[主観的評価も入試の基準]
◎「点数という客観的な評価が高校入試の基準」だとするだけでなく、各学校の主観的な評価をも入試の基準にするのを当たり前になって欲しいと思う。そうすれば、「服装、態度で不合格」もありになる。
[主観的評価は学校の個性]
◎主観的な評価を各学校の個性として捉える。そのような自主性を学校に与えて欲しいと願う。とすれば、今回の問題も学校の基本方針として捉えられる。
[集団優位の思想や中央集権体制]
◎だが、学校に個性を持ち込むことを、集団優位の思想や中央集権体制(組織擁護・組織維持優先的観点)が阻んでいるのではないだろうか。
[批判への違和感]
◎そこを見据えないで、「服装、態度で不合格」を批判する書き手の視点に、コメントの批判が集まったし、私も違和感を覚えた。
[校長の問題では視点が低すぎ]
◎だから、「服装、態度で不合格」問題を、校長の問題や学校の問題として捉えているだけでは視点が低すぎる。
[教育制度や入試制度のひずみ]
◎教育制度や入試制度のひずみや歪みが、このような形で、このようなところから問題として出ているのだ。だから、表面に出てきた現象だけを捉えていては、問題の解決にはならない。