真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

AKBの隆盛と民主主義の成熟はつながっている

私は、Google+を利用している。あまり積極的に参加しているわけではないが、情報収集用として、眺めている。
注)"Google+は、自分と相手の関係性によって「サークル」でグルーピングすることが出来るのです。ツイッターでフォローするように、閲覧するだけなら「著名人」のサークルに、何度か会ったことの知り合いなら「知合い」のサークルに・・・といった感じ。"引用from初心者にもわかる。google+の使い方 - NAVER まとめ
以前、そこに、AKBが大挙して乗り込んできた。私は、それがうっとうしくて仕方がなかった。私はブロックしまくった。いつの間にか、彼らは姿を見せなくなった。
今、新しく、cancamのコンテスト立候補者たちが、Google+に、票(+1)をくださいと、割り込み始めている。それに対する批判投稿もたくさんある。
追記)Google+内に公式ページ(コミュニティ)をつくり、投稿をそこに限定したようである。
ということで、今日は、その辺りについて、感じていることを書いてみたい。
AKBは、主に楽屋裏を見せる学芸会や文化祭の稽古風景だと、感じていた。
注)表も裏も見せる学芸会である。モーニング娘。ぐらいからであろうか、未熟な若い10代を、表舞台だけでなく、というよりも、楽屋裏を主に見せる手法が確立されたのは。引用from"AKB48騒動から感じたもの" - 真 夢人 日記
昔は、テレビでは、プロが、表舞台で、聴衆をうならせることに重きを置いていた。演技の巧さを競っていた。これは、舞台からの借り物だったのだろう。
が今は、半素人芸人が、芸能界、芸能人の楽屋裏を見せることが、テレビ番組だと勘違いさせている。
その結果、私がテレビ番組で見るのは、再放送だけである。昼に再放送される番組を、録画して、夜中に楽しんでいる。
今の時代のキーワードは、楽屋裏、半素人、共感、共有、つながり、である。
その共感、共有の手段が、Twitterであり、Facebookである。残念ながら、私は、そのどちらをも利用していないが。
Google+でもある程度、楽屋裏を見せることを意識している。専門分野コミュニティでは、ネットで流れる情報よりも早く、投稿されることも多い。このような差別化が、特定の人々や団体との、共有、つながりを意識させる。
昔、"たまごっち"というゲーム機(1996年に発売開始)が爆発的に流行った。私はこれには興味がなかったが。
"画面の中に登場する「たまごっち」と呼ばれるキャラクターにえさを与えたり、糞の掃除をしたり「たまごっち」と遊んだりしながら育てていく。こまめにコミュニケーションをとっていれば機嫌がいいが、えさをやり忘れたり、糞の掃除が滞ったりすると機嫌が悪くなり最悪の場合には死ぬこともある。"引用fromWikipedia
私はAKBは、たまごっちだと感じる。プロは、我々よりもはるか上にいるが、たまごっちは、守り育てるべき存在として、我々の掌の上にいる。
Facebookもそうだが、それ以上に、Twitterは、情報の拡散機能が大きい、強い。
重み付け評価という言葉がある。評価項目ごとに重みを付けてその合計点で評価する手法をいい、重みの大きい評価項目ほどその項目の重要性が高いことになる。引用from重み付け評価 - 意味・説明・解説 : ASCII.jpデジタル用語辞典
良いねが多いほど、リツイート(retweet)が、多いほど、その情報は、重要性が高いことになる。
脳細胞でも、ある情報に関して、発火度が多いほど、重要だと判断される。つまり、重み付けは、発火度数だということになる。
これは、商品、製品のレビューでも同じことが言える。レビュー数が多ければ、注目度が高いことになる。もちろん、それだけで評価が高いことにはならないが。
注)レビューで思い出すのは、koboである。コボがレビューでボコボコにされた。楽天は、すると、そのレビューを削除してしまった。楽天の胡散臭さが表に出てしまった。
これらを考えると、個人個人の発信が、物事を判断する指標になっているということである。これは、民主主義の基本でもある。
ということを考えると、時代は、民主主義を成熟させる方向へと向かいつつあるということだろう。
追記)AKBにしても、cancamにしても、ファンからの投票を有効な手段に使っているのは、自然な当然の流れなのだろう。若者にとっては、政治家を選ぶよりも、たまごっちを選ぶほうが重大事なのだろうか。
だが、個人個人の発信力、発信内容が、民主主義の民度(はてなキーワード)の高さでもある。