真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

平和志向の日本人と、戦いを意識する欧米人と

試合などに臨むとき、周りは本人に、"頑張れ、頑張ってねー"という。ところが、英語では、つまり、英米人は、そんな時、"Take it easy!"(気楽に行こうぜ)という。

これって完全に真逆の表現である。どうして、同じ状況にあるのに、それはなぜなのだろうと長い間感じていた。それに関して、自分なりの考えを述べたい。

まず、ホルモン(神経系)的には、不安(マイナス感情)を打ち消し、身体的に、攻撃的、積極的方向へと向けさせる"アドレナリン"や"ノルアドレナリン"がある。もちろん、逃げるための身体活動の活性化という場合もあるが。

"Take it easy!"は、これから戦いへと臨む相手に対して、積極的から過剰へと進みすぎるのを抑える声掛けではないかと思える。身体活動だけでは、勝つことが難しいのが現代の通例である。頭脳プレイには、それらのホルモンの過剰は、冷静さを殺すので大敵である。

つまり、日本人と欧米人とでは、日常的活動性に違いがあることから来るのではないだろうか。日本人は少々、アンダー気味になり、英米人は、それにひきかえ、少々オーバー気味になる。と言っても、科学的根拠は全くないのだが。

で、別の面から攻めて見る。例えば、言語の周波数では、日本語は、英語に比べると、低い。英語の場合は、2000ヘルツ以上の周波数の音声に言葉の意味がある。それに対して、日本語では、1500ヘルツ以下の周波数の音声に言葉の意味がある。
注)改変引用from言葉の周波数の違い、周波数と能力

その結果、英米人の男性でも、我々日本人の男性よりもはるかに、トーンの高い声を出す。映画やテレビの吹き替えでは、わからないが、原語で聞くとかなり違和感を感じる声である。役柄・性格と、声との乖離に驚く。

また、別な事例を上げると、日本人は、電車などの乗り物の中で、居眠りをする姿をよく目にする。私もその一人なのだが。外国人にはそれが奇異に映るらしい。

その1つの理由が、対面する人と、目を合わせたくないという心理面があるだろう。でも、やはり、日本人が、基礎的活動基準(アイドリング状態)が、低いことから来るのではないだろうかとも思える。

目を合わせるのは、相手と対等であることを、意味する場合もある。だから、目上の者に対しては、目をそらす、目線を下げることが求められる。

視線をどこへ持っていくかが、その人の心理状態を表すことにもなるので、日本人には、視線恐怖症などの、視線に関する不安も多いらしい。恥も他人の視線を意識する心理である。日本を恥の文化といった人がいる。

更にまた、別な事例を上げる。日本人は、笑顔をとても意識する。ところが、見知らぬ外国人に対して、笑顔を見せると、その外国人は、気味悪がることが多い。意味のわからぬ笑顔を不気味だと感じるのだ。
注)ホッブズの理論は、笑いというものは、人間が自分の優越を意識したときに生まれると考えるものであり、「笑いの優越理論」と呼ぶことができる。近代以降の笑いの分析で最初に登場した理論であり、その有効性は古代以来、証明済みである。自分が相手よりも優れていると認識したときに、劣った相手を笑うというのは、人間の笑いの性格の一つである。

私は、歯を見せる怒りと、歯を見せる笑いとが、同じように歯を見せるのに、真逆なのはなぜかと思っていた。怒りの場合は、口周りを緊張させるがゆえに歯が見える。否、攻撃を象徴する歯を見せることによって、攻撃心、怒りを表しているのだ。

それに対して、笑みによって歯が見えるのは、口周りを弛緩させるがためである。緊張とは真逆の弛緩。顎の筋肉の弛緩によって、口が開く。それによって自然と歯が見える。この場合は、歯を見せることが目的ではないのだろうが。

つまり、戦いの歯の表示と、平和の歯の表示とである。多分、外国人には、明確な意味を伴わない歯の表示に戸惑いを感じるのだろう。戦いと平和と、どちらも歯を見せることなので。

更に又別の事例を上げる。日本人は、挨拶で、頭を下げ合う。自分が下だとの意思表示である。欧米人では、対等を意味する握手をする。もちろん、握手は、元々は、武器を持っていない、武器を持たせないことを表示するためなのだが。

つまり、挨拶においても、(相手を立てることによる)平和を基本とする日本人と、戦いを強く意識する欧米人との差がよく現れている。我々日本人は、基本的には、平和志向なのだろう。それに対して、欧米人は、戦いを常に意識しているのかもしれない。