真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

ネットとリアルの激突は、超国家と国家の衝突

私は、時代は、所有から共有へと遷移しつつある、と感じている。
参考1)資本主義は共有主義に遷移しつつある - 真 夢人 日記
参考2)共存主義、共有主義、共産主義が可能な時代に突入した - 真 夢人 日記
参考3)独占所有から共有化へ - 真 夢人 日記
話は変わるが、私は、"gacco"というネットの大学講座を受講している。費用はただである。
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第一回目の講座は、「日本中世の自由と平等」である。とても、つかみのうまい題名(テーマ)である。中世に自由や平等があったのと、訝りながら聴講しつつ、その謎が氷解していく。
私もこの講座を聞いてとても、頭がかき回されてしまった。かなり、私が持っていた、常識、偏見(?)が、くつがえりつつある。
その講座のテーマのひとつが、「所有」であった。この所有は、強い権力によって、裏打ちされない限り、不安定なものにならざるを得ないという話であった。
参考)ヘーゲルは、所有は自由だ、自由をもたらす、といったらしい。例えば、奴隷は自分の身体さえ所有していない。例えば、脅迫によって自分の心や精神を他人に束縛された(一時的に所有されてしまった)ら。
強い権力に守られなければ、いつ何時、力で奪われるかわからない。事実、江戸幕府が開かれるまでは、強い権力が誕生していなかったので、不安定であった。
国の場合、外に強い恐怖対象があると、国家主義が強まる。逆に、外に恐怖対象を偽装して、国家主義をあおる場合もある。
私は、その話を聞くまで、絶対君主、独裁者は、本当は、誰も望まなかっただろうと、思っていたが、絶対君主であればあるほど、独裁者であればあるほど、ある意味安定はしていたのであった。
でも、安定はする代わりに、鼻をつまみたくなるような腐敗臭が充満する。その腐敗臭にたまりかねて、権力は転覆する。いつの時代も、どこの社会も同じである。
日本も、徳川幕府という絶対君主政によって、安定していった。そして、そのことによって、所有も安定していった。
参考)その代わり、競争のない、平和ボケ(精神の弛緩)が充満していったが。
話は飛ぶが、戻るが、時代は、所有から共有へと遷移しつつある、と言った。国家とシステムが安定すると、つまり、先進諸国のように生活の諸々の基盤が安定すると、豊かになると、所有する必要がなくなってくる。
つまり、所有にはかなりの努力(金銭面など)を継続しなければならない。使用できればそれでいいならば、所有しないほうが逆に、簡単に取り換えができる。
例えば、家を買えば、諸々の維持費がかかる、車を買えば、同様にさまざまな維持費がかかる。
借りるならば、嫌になれば、家を、車を簡単に取り替えできる。そうなれば、所有を担保してくれる強力な公権力は必要なくなる。
そうなれば、国家の存在意義、存在理由が、希薄になってゆく。何も国家の形態を取る必要はないからだ。
それに変わる、それを部分的に代行する、組織、システムが有りさえすればいいのだから。
例えば、グーグルのような存在でも構わない。もはや、政治(家)の時代は終わろうとしているのだから。
先進諸国では、無党派層が、最大勢力になっている。彼ら(私もその一人である)は、時々によって、異なる政党の異なる政策をつまみ食いする。
もはや、政治家を保つ必要はない。必要な時どきに政治家を利用すればよい。専任の政治家はもはや必要ない。
グーグルやアマゾンのようなネット企業が、もはや邪魔な存在と化しつつある国家という壁を壊しにかかっている。その一つの現われが、ビットコインであった。ネット企業の本質はそこにある。
国家の概念、公権力の概念が変異している時代にあっては、所有は、変化の時代にあっては、不安定であり、ものが豊かにあり、それを簡単に手に入る時代にあっては、使用や共有という、一時的な利用にとどめておくのが無難である。
グローバル化がそれを端的に物語っている。企業は自前の設備を保つ必要がない。アウトソーシングがあるではないか。
所有という意識を捨て去れば、とても身軽になれる。日本企業は、今だに所有にこだわる意識が強力にあるが、一時的な共有や使用で、この変化の時代を乗り越え、乗り続けていくべきでは。
今は、持たないリスクから持つリスクへと変わりつつある。