真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

信長の全国統一行動は聖俗戦争

gacco(ネットサイト)で、大学レベルの公開講座がネット上で開かれている。第一回目の講座は、「中世の自由と平等」である。
それに触発されて、日本歴史に疎い私が、無茶な仮説を立ててみた。
私は、織田信長の全国統一行動は、戦国大名との戦いだと考えていたが、講座「中世の自由と平等」を視聴して考えを変えた。
信長の全国統一行動は聖俗戦争という面もあると感じたのだ。
つまり、信長の全国統一へ向けた行動は、縦横の戦いだったのだと。
横の戦いとは、並び立つ戦国大名との戦いである。
縦との戦いとは、支配層である自分達を脅かす僧・農民(宗教界)との戦いである。
そう考えると、私にはいまいち理解できなかった、一向一揆との戦い、比叡山焼き討ちをなぜ行ったのかがすっきりする。
信長の本当の危機感は、宗教が、農民を全国統一させるという普遍性を持つ思想だと見たことから来るのではないか。
それに反して、戦国大名は、半独立国として、現状維持を願う、分裂指向であった。
聖俗戦争の内、俗とは、武士階層である。それに対して、聖とは、僧・農民を中心とする信者たちである。
戦国大名は、各自、ばらばらの家訓を持っている。それに対して、宗教は、全国の農民たちに、同じ行動規範と思想を提供する。
参考1)一向宗 - Wikipedia
参考2)一向一揆 - Wikipedia
そこから引用。「一揆の拡大によって武家政権の基盤を脅かされることを恐れた織田信長細川晴元ら権力者との争いを展開するなど、戦国大名化して覇権を争ってもいる」
更には、農民と武士との関係の変遷があった。武士は、領地を侵略する敵と戦い、領地を守るという役目であり、農民にとってありがたい存在だった。
しかし、やがて領地を侵略するという行為が減り、安定しだすと、支配層である武士は、農民にとって、内なる敵となりだした。
農民にとって、武士は土地を死守する味方であった存在から重税を課す敵としての存在に変化した。
織田信長は、強力な力を持っている聖(かなり腐敗していたが)に対向するには、宗教が持つ、全国統一的な普遍性を持つ思想に対向するには、分裂している武士階層を全国統一すべきだと考えたのではないか。
そうしなければ、もしかすれば、武士階層が聖階層(僧・農民)に取って代わられるのではないかという危機感があったのではないか。
そういう、彼ら武士階層も、もとは貴族に仕える身分であったが、下克上をして、支配階層にのし上がっていたという経緯がある。
僧階層は、僧兵として武装化している。農民も、平時は農耕をするが、戦時には武器を持って戦いに参加する。
つまり、僧・農民といえども、武士階層と同じように、武装集団という一面を持つ。信長にとっては、強力な敵にもなり得る存在であった。
それへの傍証として、豊臣秀吉徳川家康が、刀狩りを行い、士農工商の身分制を定めたことに現れているように思える。
あるいは、鎖国政策も、外国の宗教を締め出すことが目的の一つだったとも言える。下克上(自由:固定の反対概念として)を肯定する、あるいは、平等を志向するような思想は危険思想であった。