真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

今回(2014年12月)の衆議院選挙への批評と雑記と雑感

今回(2014年12月)の衆議院選挙に関して、まずは、投票率の低さについて、
総務省が15日発表した衆院選投票率小選挙区が52.66%、比例代表で52.65%となり、いずれも戦後最低を記録した。これまでの最低は2012年の前回衆院選で、今回はそれぞれ6.66ポイント低い水準となった」。
引用from"衆院選投票率、戦後最低の52.66% 総務省:日本経済新聞"
これは国民の側から見た、選挙に対する批判が数字として現れたものだろう。つまり、国民の側には、選挙をする大義がないのだという消極的意思表示だと。
言い換えれば、選挙は、政治家のための就職活動の場なのか、それとも、国民が、自分たちの意志を反映させてくれる人を選ぶ場かということである。一体、どちらが主人公なのだ。
次に特徴的なことは、改選前には19議席あった次世代の党が、ほぼ10分の1ともいえる2議席と、壊滅的敗北をきしたことである。
さらに、次世代の党が、この選挙での唯一最大の敗北者となった。つまりは、次世代の党の喰い合いに終わっただけであったということである。
参考)次世代“旧世代”だけ残る 田母神氏、山田幹事長らが落選 - 政治・社会 - ZAKZAK
次世代の党とは、2014年7月31日に解党された旧日本維新の会のうち、石原慎太郎支持派グループによって8月1日結党された政党である。
そこに合流したのは、維新ブ−ムに乗って当選した新人議員が多いのが特徴であった。だから、ある意味、当然の帰結でもあるのかもしれない。
いつもながら、ブームによって生まれた新人は、ブームが去った後には潮が引くように落選してゆく。それが世の常である。
なお、石原慎太郎(82歳)氏については、石原慎太郎氏が政界引退「さばさばした気持ち」(from朝日新聞デジタル)だそうであるが、私から見れば、老人の醜態を晒して、惨めな後ろ姿を世間に見せつけたという感じである。
最近相次いで亡くなられた、高倉健氏や菅原文太氏の凛とした後ろ姿とは真逆である。引け際の難しさなのだろうが。
もう一人残念な人がいた。小沢一郎(72歳)氏である。メディアからは相変わらず、【解剖 政界キーマン】生活の党・小沢一郎代表 随所から“待望論” 野党の起死回生へ (2/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAKであったが。
この人も、石原慎太郎氏と同様に、老人の醜態を晒して、惨めな後ろ姿を世間に見せつけた。ここ数年、彼には全く覇気が感じられなかったのに、何故担ぎあげられるのか。
細川護煕(76歳)、小泉純一郎(72歳)元首相も、政治の表舞台に再起をしようと願ったが、彼らも残念な結果に終わった。彼らも、もはや、単なる過去の人にすぎなかったのだろう。本人たちだけが知らなかったのかもしれない。
という意味では、今年は、老兵が、表舞台から、惨めにすごすごと、あるいは凛として退場する時期だったのだなあと、感じた。彼らの後ろ姿をよく見ておこう。
それに対して、今回目立ったのは、共産党の躍進であった。これは、自民党(与党)に本気で歯止めをかける意志のある党だという国民の判断からの結果なのだろう。
注)1)時事ドットコム:共産、参院選に続き躍進【14衆院選】
2)「6月の東京都議選議席を倍増させた同党は、その勢いを駆り、今回の参院選でも「自共対決」を強調することで、政府・自民党に対する不満を抱きながらも他の野党にも飽き足らない有権者の批判票の受け皿として存在感を示す戦略をとった」引用from"参議院選挙(参院選)2013 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)"
新しい箒木はよく掃ける。同じ場所にいると、シガラミがまとわりつき、だんだんと身動きができなくなる。
そんな中で、歴史のある政党にもかかわらず、共産党は、立ち位置がかなり安定している。
いい意味でも悪い意味でも、ブレずに腰が座っていたのは、自民党(与党)と、共産党であった。私から見れば、アベノミクスは失敗といえる段階に入っているが、安倍首相は、頑としてうまく言っていると言いくるめた。
それに対して、他の野党は、ふらふらと落ち着きが全くなかった。そんな野党に、国政を托せる訳もないではないか。
参考)田原総一朗・参院選スペシャル 「ふがいない野党」が自民党に勝つためのただ一つの活路 ( その他政界と政治活動 ) - 犯罪者と官僚と政治屋にマスコミ、大甘の国・日本 - Yahoo!ブログ週刊朝日 2013年8月02日号配信掲載)野党の不甲斐なさがいつまで続くのだろうか。
選挙というのは、政治家を選ぶというよりも、リーダーを選ぶという方がわかりやすいだろう。日本は、アメリカがしているようには、大統領選のように、直接リーダーを選べない。
間接的にリーダーを選ぶ人を選挙する。
ブレない安定した思考ができるリーダーが求められているが、それに応じられる政党がない。左右に大きく振った思想は明確、明快だが、中庸の思想は曖昧にならざるを得ないという不利があるが。
ここに面白いことがあった。「支持政党なし」党、10万票獲得 比例区北海道 - 選挙:朝日新聞デジタル
そこから引用。1)「衆院選比例区北海道ブロックから立候補した政党「支持政党なし」(佐野秀光代表)が約10万票を獲得し、社民や次世代を大きく上回った。」
2)「佐野代表ら2人は2009年衆院選でも同ブロック(北海道)から「新党本質」として立候補し、その時の得票は7399票だった。」
参考)『新党本質』⇒『安楽死党』⇒『支持政党なし』代表 佐野秀光の日常
新党本質」という党名ならば、党名らしいが、「支持政党なし」という党名であれば、ストレートな名前なので、特に支持政党がない人々は、あえて既成の党名を記入するよりも、そのまま「支持政党なし」のほうが書きやすい。
これは、新しいアイディアであり、もしかすれば、今後この発展形が次から次へと、生まれでてくるかもしれない。
この「支持政党なし」にしても、低い投票率にしても、あんたらは本当に野党なのかと叫びたくなるような、ふらふらと落ち着きが全い中間的な野党が伸びなかったのも、このような人々に政治や政党へ未来を託せないという、国民の意思表示ではないのだろうか