真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

やらせと記録性(真)と芸術性(美)と

もう新鮮さという点ではとっくに賞味期限切れなネタではあるが、NHKクローズアップ現代」で、昨年(2014年)5月14日に放送された「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」で、やらせがあったと、報じられた。
参考)"NHK「クローズアップ現代」にやらせ発覚! | スクープ速報"by「週刊文春WEB」(2015年3月18日 発売)
私は、「クローズアップ現代」を、深く真実に迫る姿勢ゆえに、高く評価していただけにとても残念である。このようなことが起こると、信頼性が根底から崩れるので、そこで述べられることが事実かどうかに疑問符が付きまとう。
今日は、その内容について述べるつもりはないが、「やらせ」について、私がさまざまな過去の事例から思ったこと感じたことを主に述べたい。
述べる内容は、やらせの具体的な事例だけではなく、やらせよりも範囲の広いテーマをも取り上げるつもりである。つまり、真善美の真と美とについて。
ということで、まず、真善美とは、「認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美」のことである(引用fromデジタル大辞泉)。または、「学問、道徳、芸術の追求目標」(引用fromWeblio辞書)である。
科学では真(真実性)が最優先される課題である。私は、ドラマ「相棒」の大ファンであるが、その主人公、杉下右京は、その真を最優先して、善や美を重視する周りや組織と摩擦を生じさせる。
また、私は、ドラマ「科捜研の女」の大ファンでもある。主人公、榊マリコも、科学によってもたらされる、真実を最優先する。そして、杉下右京と同様に、善や美を重視する周りや組織と摩擦を生じさせる。
杉下右京や榊マリコが、周りや組織との間で摩擦を生じさせても、組織内にとどまれているのは、周りを凌駕する結果を出しているからである。並の人間では、たちどころに、弾き飛ばされるか、放り出されているだろう。
ところで、やらせでは、記録性(真)と芸術性(美)とでは、記録性(真)を重視優先させなければならない状況なのに、芸術性(美:表現の素晴らしさ)に傾いてしまうことである。
別の言い方をすれば、やらせは、ありのままと人工化とでは、人工化を加えすぎることである。人工化とは、天然に対する言葉で、人為的加工を施すことである。
参考)ボケとは、本来、笑わせるために計算された人工的人為的な、内容や行動のずれで、そのギャップ(ずれ)が面白さを醸しだす。だが、天然ボケは、作為なく内容や行動がずれて、周りに笑いを誘う。
ということで、やらせを避けるために、再現ビデオという形で、やらせを回避することが多い。「クローズアップ現代」でも、映像が再現したものであると説明するならば、何の問題もなかったのである。
しかし、記録性(真)を重視する番組では、再現ビデオではかなりの格落ちである。人工化/人為化(やらせとは見えないやらせ)の誘惑に勝てなかったのだろう。
私は、写真を撮るのが好きである。写真でも、記録性と芸術性とが問題になることも多い。報道(特に写真映像を使う)でも記録性(真)を重視する、と言うより、記録性(真)そのものが命である。
だが、そこにも、芸術性(美)に傾いた内容が紛れ込んでしまう。あるいは、倫理上の善(悪を含む意味で)が強調されすぎてしまう。
話は変わるが、禅宗の庭園は、日本人だけでなく、外国人観光客にも好まれることも多い。禅宗庭園は、自然を自然な形(自然の素材)で人工的に(人工化して)再現したものである。
というのは、自然を自然なままにしておくと、真ではあるが、美がない場合が多い。それは単なる雑然たる(無秩序な)自然であるとして、禅宗では好まれない。
脳的に言えば、本能(脳幹発祥)のままの自然ではなく、知性/理性(大脳新皮質)というフィルターで濾過された自然である。
つまり、わがまま(自我中心)の自然ではなく、あるがまま(全体がよどみなく流れる)の自然である。
自分だけの自然(わがまま)ではなく、全体を包み込んだ(あるがままの)自然である。
それで、逆に、美を求めて、これ以上削ると表現できなくなってしまうという極限にまで簡素化する。禅宗では、美的簡素性を追求する。簡素な美を求める。しかも、そこに真(自然さ)をも置く。
禅の精神である、美的簡素性を持つ真の追求を示すのが、禅宗庭園である。極度に人工化した美的簡素性を示す真(自然)である。
話は大きく変わるが、妻や子どもたち(娘たち)は、やらせをなんとも思っていない。やらせを非難しない。つまり、やらせであるかどうかはまったく問題ではない。
最優先の問題は、面白いか、楽しいかということである。つまり、真よりも美(心理的感情的快:醜に対する)に、圧倒的な重きを置く。表現手段ではなく、表現内容にのみ重きを置く。
しかし、私は、やらせに対して、とても不快を感じる。単なる演出であっても、そこに不自然さ(真のなさ)を感じて、私は、白けてしまうことが多い。
私としては、自然さ、人工(人為)的でない、過剰な演出のない、記録性に重きを置く態度を、快と感じる。その代わり、私には美的センスが全くない。私からは、面白み、楽しさがにじみ出てこない。
注)私は、小学生頃から、文芸でも、フィクションものにはあまり興味がわかなくて、ノンフィクション(昆虫記、動物記、博物記的なもの)に夢中になっていた。
注)真に重きを置き過ぎると、周りと摩擦が生じやすい職人気質になり、余裕/遊びに重きを置けば美が生まれるが、それが過ぎれば真が軽んじられる。真は、心を超越するが、心抜きでは、美や善は成り立たない。美や善は、人情である。
真善美は、正三角形をしているのかもしれない。美に傾けば、真が軽んじられ、善に傾け(独善?)ば、美(調和)が軽んぜられる傾向がある。となれば、三すくみにならなければよいのだが。

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