真 夢人 日記

心理学、哲学、脳科学、宗教に関心があり、それらについて自分なりにまとめたものをこのブクロで発信していきます。

NHKの100分de名著、「華氏451度」の3回目を見ての感想

NHKの100分de名著、「華氏451度」の3回目を見ての感想。
華氏451度は、レイ・ブラッドベリによって1953年に書かれたSF小説華氏451度は、本が燃え出す温度。
実は、1回目、2回目を視聴して、内容がよくわからなかったし、それ故に、おもしろ味を感じなかった。
だが、3回目を視聴して、ようやく内容が見えて来た。俄然面白くなった。
私的には、基本テーマが、「時間(変化)の加速化」であるように思えた。
人は、発達的に、感覚機能が最初に働き始め、次に感情機能がその上に立ち上がる。更にその上に知性機能が積み上げられ、最後に理性機能が花開く。
人では、これらが次から次へと花開いて行くためには、20年以上の歳月を待たねばならない。最後の理性機能に至っては、完成はないともいえる。とは言え、全ての機能にもそれがいえるのだが。
しかし、時間(変化)が加速度的に進行する為に、人々はそれについていけなく、知性機能はおろか、感情機能さえも、育つ間もなく、感覚機能だけで、対応せざるを得なくなっているのが現状である。
昔のように思索(哲学)ではなく、感覚的な反射思考に陥っている。
反射思考にとっては、高級なメディアは煙たい。故に、メディアも劣化している。テレビ番組を見れば、それは一目瞭然である。あるいは、全国紙の凋落振りを見れば明らかだ。大衆化、大衆迎合といえる事態である。
これは、安倍元首相が誕生し、菅現首相を見れば分かる。安倍元首相は、言葉を大切にはせず、中身のない感覚的イメージ語で、その場しのぎをしてきた。言葉が余りにも軽過ぎた。国会は、中身のない言葉遊びに堕落した。
菅首相には、日々の出来事にしか目が向いていなく、度短期な視野しかない。故に、言動には、思索をした痕跡が全くない。全くの短期決戦あるのみである。思想のない権力志向の強さには、強い苛立ちを覚える。
この著書が、1953年(昭和28年)に書かれたSF小説だとは、全くの驚きである。未来を見てきたかのように描く予見能力の高さには、ただただ驚きしかない。